ミッション ー Part.2
鎌田 恵務
2011年、夏。
長崎で「原爆投下と被爆の記憶の遺産として残してほしい」との思いもむなしく、
被爆した旧鎮西学院の校舎の取り壊しが行われました。
私は、その取り壊された跡地に、活水学院からの依頼を受け、
平和祈念のためのモニュメントを設置いたしました。
2010年より着手した制作の中、折々に地元の方々の思いに触れ、
また、その最中、2011年の3月11日の東日本大震災による原発問題を目の前にして、
今、この時期に、この平和祈念のモニュメントを制作していることを、
アートに携わる者として、次世代に向けての継承や希望を担う道具として、
何とか出来ないものかと思案いたしました。
そして、校舎の取り壊しの際に生じる鉄筋のスクラップを、
被災校舎の単なる鉄屑にして葬り去るのでは無く、新たに鋳鉄し「長崎の十字架」として創出することにいたしました。
・・・・2012年1月。完成。
長崎で「原爆投下と被爆の記憶の遺産として残してほしい」との思いもむなしく、
被爆した旧鎮西学院の校舎の取り壊しが行われました。
私は、その取り壊された跡地に、活水学院からの依頼を受け、
平和祈念のためのモニュメントを設置いたしました。
2010年より着手した制作の中、折々に地元の方々の思いに触れ、
また、その最中、2011年の3月11日の東日本大震災による原発問題を目の前にして、
今、この時期に、この平和祈念のモニュメントを制作していることを、
アートに携わる者として、次世代に向けての継承や希望を担う道具として、
何とか出来ないものかと思案いたしました。
そして、校舎の取り壊しの際に生じる鉄筋のスクラップを、
被災校舎の単なる鉄屑にして葬り去るのでは無く、新たに鋳鉄し「長崎の十字架」として創出することにいたしました。
・・・・2012年1月。完成。
画像:「長崎の十字架」鋳造作業風景 山本学司撮影
プロフィール
彫刻家
制作の傍ら、多岐にわたるアートプロデュース
を手掛けつつ活動中。