星 の て が み


raccoon

 

4~5年前に私は医師から余命宣告を受けた。しかも後8年も中途半端な猶予期間がある。
セカンドオピニオンとして違う医師に聞いてみたこともあるが、「最近は、そう言うこと
まではっきりと言うんですねぇ…。」と否定もされなかった。

小心者の私のこと、もっとパニックになるかと思っていたが、意外と冷静に受け止めている。
残りの人生はおまけみたいなものだ。不慮の事故で、余命を待たずに死ぬ事だってあるだろう。
その逆もある。治験や認可が遅い日本のこと、 あまり期待はしてないが、奇跡的に良い治療法や新薬が
間に合うかも知れない。 それでも淡々と日常を生きているのは何故か。恵まれた事に、
危急の症状が出ないこともあるが、私が自分自身を納得させるために作った心理的なバリアはこうだ。
病気に悪い病気も良い病気もない…。病は病、かからぬに越した事はないけど、かかってしまったものは仕方がない。
患者とは様を付けようが、私には言わせない。薬で治るか治らないかで、病気の良い悪いを語るのも、
死と隣り合わせの生であるからだろう。新しい薬で治る日が来て、それが常識になる時代に生まれていれば、
今は、どんなに忌み嫌われる病であっても、普通に暮らしているのだろうし…。
そう思えば生ある内の孤独以外に憂うものは何もない。薬で死さえも乗り越える時が来たら、また違う事で悩むのだろう。だが、今はまだ命には限りがある。
まだしばらくは死を逃れることは誰にもできない。平等と呼ぶのがふさわしいかどうかはともかく、
いつかは辿り着く道の果てなのだ。「残りが少ないと思えば、残りの人生も有意義に生きることができるでしょう。
そう考えれば、あながち悪い病気でもないですよ」
主治医の先生が退院の時にそう言った。人間は贅沢な生き物だから、諦めが付いたと言ってはいても、
まだまだ頑張って生きてしまうのだろう。最近では、告知を受けて無くなったと思っていた欲も、
また出て来るありさまだ。
「棺桶にお金は持って行くことはできないのだから、一銭たりとも残さず使って死ねよ」
と説明を受けた母が言う。事実を知らせていない父は、好きな事をして暮らしている。
深刻な日常を迎えずに暮らせている私は、本当に幸せなのかも知れない。
ただ周りの人に感謝するだけの人生を送れる日々が、このような形で私に訪れるとは…。
不満と不安だらけだった三十路の心労は、夢多き若者にのみ許された心の余裕だったのだ。
強がって、「自分を良く見せようと演じなくなって、初めて幸せになった」
と嘯いていた当時とは違って、今は、演じなくても現実がそうさせる。
だが、その心理的バリアも、屁理屈ではなく、今はそう信じてもいる。
それが可能なのは、私が触れることができた幸せが確実にあるからだ。
それは信頼であり、親愛でもある。私は現在52歳だが、40歳を過ぎるまで、生涯孤独を覚悟していた。
今は、たった1人だが、10年を通した善き理解者がいる。
思えば長い40年の孤独だったが、今はとても満たされている。
普通、そう言う人は、失うのが怖くてたまらないだろう。
だが私の場合は、元々そんな人は得られないと思っていたので、人生の5分の1も、
親より深く付合ってくれて、本当にありがとうと、ただ感謝の気持ちで一杯である。
もう十分に心の隙間は埋めてもらった。だから事情で離れなければならない日が来たとしても、
私の心の中の宝物として、一緒に過ごした日々の輝きは失せることがなく、その記憶の暖かさだけで、
二度と孤独の闇で迷う事も、心が凍えることもないだろうと信じている。
もうこの気持ちを失うこともないだろう。医師の告知より先に、その幸せと巡り会えて、本当に良かったと思っている。
自分のありのままを受け入れてくれる人がいるだけで、人は至上の幸福を感じるものなんだと思う。
もしその幸せを知らなければ、もっと違った受け止め方をしたことだろう。
(何やら宗教地味て読めるだろうが、私はノンポリだ。実在の人物に会えたことは奇蹟だとは思っているが)
親には理解されなかったが、親は生を理解している先輩である。
もうそろそろお互いに許す時がやってきたのだろう。
秘密と言う名の新しい人生の錨を引きずりながら、私は残りの生を楽しんで生きて行くだけだ。
報いることはできなかったが、生んで育ててくれた親への感謝の気持ちは、以前より強くなった。
それもこれも自分勝手な幸せを感じたからである。
祖父が亡くなった時に、火葬場の煙突から煙が昇って行くのをじっと見ていたが、
あの時から、他人の心に思い出として残ることはあっても、何も後には残らないことを感じていた。
昇圧剤で高くなる心拍の中、燃え尽きるように亡くなった祖父。
鼓動が止まっても、しばらく身体は暖かかった。間際まで何を考えていたのだろう。
せめて寂しくなければよかったがと今でも願っているが、その思いももう届くことはない。
火葬されてシャリシャリになったお骨を拾う頃には、魂と呼べる実体はなく、
ただただ思い出だけが繰り返し浮かぶだけだった。私もいずれこうなる。
死後二世代も立てば、誰も私の事は覚えていないはずだ。
そして思い出してくれる後の世代すら、独身だから存在することはない。
魂とは、残された人の心に宿る思い出のことだろう。
そして私にとっての自分の魂とは、人にどれだけの記憶を残せたかである。
それを私自身が知ることはできないし、その量を測っても無意味なこと。
私には、いずれ何も感じる事ができない時が来る。
そう思えば、私が無に還るまでの、心の情動だけが全てである。
私は幸せを知らないわけではなかった。私が感じた幸せは、それを与えてくれた人の心の中にもきっとある。
だから私の魂はその人の記憶の中にある。
だから私にはもう魂がある。それで十分…。
親にも、かけがえのない友人にも、私の幸せな姿を見せることしか孝行の道がない以上、
残りの人生も楽しく生きて行く。喜びも哀しみも心が生きている証拠だと思えば、
後に不覚にも取り乱したとしても、それも生き様。それが私の魂の残し方だろう。

追伸
私が死んでもお星様にはならないけれど、星の手紙と言う題名が、私にこの手紙を書かせてくれました。
秘密のままに、あるがままに。意外としぶとく生き残ってしまうかも知れないので、現在進行形で締めます。
私の人生は幸せに充ち満ちています。ありがとう。FF。
  
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プロフィール

1957年生まれ。
現在、CG(3D)クリエイター。 
福岡出身。 
かれこれ四半世紀、CGソフトメーカーに
勤める何でも屋でございます。
東京在住ですが、いずれ福岡に帰り、
福津市辺りに居を構える予定です。 
東京と福岡にいる時間が等しくなる前に、 
福岡に帰りたいと願っていますが… 
いつになることやら。
皆さんよろしくお願いします。

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