星 の て が み

別  の  選  択

佐藤 俊郎

 
瓦礫の間で、両親を捜し続ける子どもの写真は、
あまりにも痛々しく脳裏から離れない。
一瞬にして、平凡な明日が奪われる災害は、
いかに人間の所業が無力であるかを、思い知らされる。

歳を重ねると、しばしば昔がよかったと思い始める。
時として、あの場面で、別の選択を行っていれば、多分、別の人生があったのでは、
とも思う。それは単にノスタルジーだけだろうか?

映画:「幸せの経済学」で、アメリカ人が最も幸せと感じたのは1956年で、
それ以降、確実に「幸福度」が降下しているデータが紹介されていた。

私は昭和28年に生まれ、小学校2年生まで水俣で生活した。
最盛期の水俣は、土曜日に夜市が行われ露天が並び、
「衣屋」という2階建ての百貨店で外食するのが最高の贅沢だった。
それはそれで、幸せであったはずである。
水俣の悲劇は、取り立てて豊かではない、と思われた寒村に、
近代化と経済成長の名の下に企業誘致という金銭が降り注いだことにある。
その豊かさと引き換えに自然が犯され、争議や補償の過程で住民が分断され、
結果、企業城下は衰退していった。い

つから、私たちは、もう一つの幸せの尺度を失ってしまったのだろうか?
確かに震災の犠牲は大きい。しかし、同時に無縁社会の中で
毎年、3万人を超える人々が自殺している。
これは、明らかに社会災害である。
高齢者のみならず、若者も「無縁」の恐怖にさらされ、
新たな「きずな:絆」を求めてシェアー(共有)の可能性求める。

熊本大学の徳野貞男先生が、しばしば「君たちが子供のとき、遊ぶのに金がいったか?無くても、幸せに遊んだだろう。
それも決して昔の話ではない。」と力説される。

農村の疲弊は、金銭価値がもたらされて、総てが換金というシステムに置き換わった事だ、と言われている。
「共同体」は、農村部のコミュニテイを表現する言葉である。
近代化とは、この共同体的意識を脱ぎ去り、都市における自立した個人を確立すること、そんなお題目であった。
しかし、個人は、そこまで強くなかった。
経済的には明らかに貧しい沖縄は、長寿や健康、子育てでは確かに豊かである。
いまだに、強い人々の絆が独自の共同体を維持している。
ここでは、周回遅れが、本当の意味で1等賞ではないか、と思える。
もう一度、私たちが再構築するのは、輝かしい未来ではないはずだ。
「懐かしい未来」であり、私たちが選んでこなかった別の豊かさの社会である。
時代の「潮目」に起こった災害を、新たな社会の起点としなければ、多くの犠牲者が浮かばれない。
両親を捜し続けた子どもに、犠牲に値する未来は無い。
  

プロフィール

昭和28年熊本県水俣市生まれ 
九州芸術工科大学(護大)環境設計学科、  
カリフォルニア大学ロスアンジェルス校

(UCLA)大学院修士修了 
GKインダストリアルデザイン研究所を経て渡米。 
Barton Myers アソシエーツ、KAJIMAアソシエーツなどで  
都市計画、建築設計などを行い1992年帰国。 

その後(株)環境デザイン機構設立、現在に至る。 
九州芸術工科大学非常勤講師、 
福山市立短期大学講師、などを歴任。  

現在、NPOFUKUOKAデザインリーグ副理事長 

福岡デザイン専門学校理事など  
2011年 

朝日新聞主催東日本大震災復興計画私案で
最優秀賞受賞