星 の て が み

携 帯 電 話

滝川 直広

出来るならやらずにすませておこうと思っていたものに、
携帯電話のメールがある。さかのぼって言えば、携帯電話すら持ちたくなかった。
別に時流にあらがおうというわけではない。機械が苦手なわけでもない。
単純に必要ないと思ったからだ。

かつてはそうでなかった。
20年ほど前、仕事で会社が保有していた携帯電話を使ったことがある。
火事場の取材か何かで持たされた。
いまの軽量・スリム化した形状からは考えられないだろうが、
当時の携帯電話は単行本よりもはるかに大きなもので、
相当に重かった。重さのほとんどをバッテリーが占めていたと記憶している。
ベルトがついていて肩からつるし、
受話器も普通の家庭にあるものとほとんど変わらない大きさだった。
当時はポケットベル全盛時代。
携帯電話はまだ珍しく、それで会社とやりとりしていると、
通行人が珍しそうに眺めていた。
自分のものでもないのに、少し得意な気持ちになったのを覚えている。
その頃は、ポケベルで呼び出されていたため、
確かに自分専用の電話があれば、公衆電話を探す手間が省けて楽チンだと思ったものだ。

その後、十年たつかたたないかのうちに、携帯電話全盛の時代となった。
世界的な趨勢となっており、1999年7月、中国返還直後の香港に行ったときには、
現地の若者が皆、携帯電話を手に持って歩いているのがおかしかった。
何でも、それが流行だったのだという。

その後3年ほどして携帯電話を持たざるを得なくなった。
ポケベルが廃れたからだ。携帯電話を購入して手にしたときは、自分がとても俗っぽい人間になったような気がした。
それでもメールをやろうとは思わなかった。人の話を聞いたり、家人の話を聞いたりしていると、
携帯電話のメールは、たいてい緊急性のない、どうでもいいような内容だった。
それならば、普通のパソコンのメールで十分だった。

今の職場では仕事の必要上、数人と携帯電話のメールアドレスを連絡先として交換しなければならなかったが、
アドレスを持っていないと言ったら信じられないという顔をされた。
それでもメールアドレスは持たなかったが、今度の震災で事情が変わってしまった。
家人から、災害時には電話よりもメールのほうが連絡をつけやすい、災害用伝言板も使えるからと、
半ば強制的にメールを使うことを約束させられた。

幸い、まだそうした使い道がない。これからもないことを祈るばかりだ。
  
 

プロフィール

1967年、神奈川県生。
90年、朝日新聞社入社。
京都、福岡などで記者生活をおくる。
現在は、大阪本社編集センター地域面編集で、

地域面の見出しやレイアウトを担当。