星 の て が み

父 の 手 料 理

高倉 幸江

 
「こんな人だったっけ?」最近、父を見てそう思うことがよくある。
昭和一ケタ生まれで長男の父は、当たり前のように祖父母を看た。
母もそれに従うことになる。娘からもみても、両親は祖父母のことでずいぶん苦労した。
祖父母は一風変わった夫婦だったし、享年九四歳と長寿だったので老老介護になったからだ。
祖父母を見送りいくつかの法要が終わって落ち着いた頃、
母は念願だった家庭菜園をはじめた。七〇歳を過ぎた頃だ。
「時間が出来たと思ったら今度は体がいうこときかんごとなった」と、母は言った。
母が畑仕事に精を出すとき、「今日はオレがご飯をつくろう」と言って、
父は自分専用のエプロンをつけて台所に立つ。母より先に起床したときも、
父は朝食をつくるために台所に立つようになった。料理だけではない。
掃除も洗濯もする。こう書くと母はずいぶんラクチンのように見えるが、
そうではないだろう。父が料理した後の台所は片づけが充分ではないし、掃除機をかけてもどこかスッキリしない。
テレビに夢中になって洗濯物の取り入れを忘れるし、「おーい」と人を呼んで助手が要るので、
こちらとしてはちょっと面倒なときもある。それでも父は、私たちの苦情にもめげずに家事に手を出し続けた。
そのうちだんだん上手くなっていった。例えば朝食である。我が家では毎朝、納豆オムレツをつくるのだが、
今では私のより父がつくったものの方がおいしい。いつの間にか盛り付けも上達している。
「お父さん、上手くなったね」と私が言うと、「お母さんが盛り付けを手伝ってくれた」と父が言う。
これは母への気遣いの言葉だ。それは深読みしすぎだと父は言うかもしれないが、
特に仕事を離れてからの父には、祖父母のことで無理をさせ続けてきた母への償いのような気持ちが
基調低音のように流れていると思う。
だが、これによって母の長年の苦労が帳消しになるかどうかは私にはよくわからない。
育児に仕事に祖父母の世話にと母が忙しくしていたとき、家事にあまり積極的ではなかった父。
それがいまでは、母のようにはいかなくても、料理、洗濯、掃除、買い物、町内のお付き合いと家事をするようになった。
父は変わろうとしているのだ。心臓の持病があり、人生の幕がいつ降りてもおかしくないのに、
慣れないことに挑んで変わろうとしている。この前、母が苗を植えるために畑仕事をし始めたので、
「今日はクリームシチューをつくろう」と父が言った。台所でジャガイモや玉葱、人参などを切る父が若々しく見える。
「お父さんってえらいなぁ」とも思う。

退職後、家事にいそしむ男性の話をマスコミでよく見聞きする。ライターである私が父のこんな話を記事として書けば
よくある話のひとつにすぎない。でも、私個人にとっては家事をする父の姿はかけがえのない出来事なのだ
(私はこれまでそういう視点で取材をしてきただろうか?)。
晩ご飯のメインディッシュはクリームシチューだ。
リクエストしていたトウモロコシも忘れずに入っている。
おいしかった。同じ食卓を囲むこんなおだやかな時間があとどれくらい続くのだろう。

  
 

プロフィール

1966年福岡県生まれ。
東洋大学文学部卒。
フリーランスライターと出版社の営業を生業とする。
主に心理学関連の書籍編集にたずさわる。