星 の て が み

異 な る 神 へ の 祈 り

廣石 望[ひろいし のぞむ]
 

毎年2月に17日ほど、学生たちとインド南部のケララ州を訪ねる。半年かけて、現地マラヤラム語の基本会話を、 日本在住のネイティヴ・スピーカーから教わるなどの後に。「お前の学問と何の関係があるのか?」と同業の研究者仲間から問われもするが、生まれ育った東アジアと、9年暮らした 留学先の西ヨーロッパのそれぞれ、ごく一部しか体験的に知らない私には、南インドの世界が、その両方を立体的に捉えなおす視座を与えてくれそうな気がする。

当地のホスト先であるキリスト教系NGOは、孤児院の運営、公立病院への日々の暖かい食糧の配給、聴覚障がい者のための教会の支援、「ダリット」と呼ばれるアウトカーストの村落で暮らす人々のための支援、ヒンドゥー教やイスラム教の指導者たちとの交流など多彩な活動をしている。

その「アシャ・ケンドラ/希望の家」と名づけられた孤児院にはダリット家庭の出身で、さまざまな理由から親元で暮らせない子どもたち(主に女子)が、住み込みの寮母さんといっしょに20名ほど暮している。
彼女たちの成長は目覚しい。毎年、新しい少女たちにも出会う。学生たちは、その子たちと笑い転げて遊ぶ。就寝の前に、子どもたちはともに讃美歌を歌い、聖書を輪読した後に、
皆がそれぞれに祈る。そのさまを、ある学生が旅のエッセイに書いている「さっきまでいっしょに笑っていたのに、お祈りのときになるとシクシクと泣くのです。」NGOの主催者が説明してくれる「この子たちには、明るい未来が保証されているとは限らない。私たちは親を信頼できるが、彼女たちには神しかいない。明日がきますようにと祈れることは大切だ。」

子どもたちの80%はヒンドゥー教徒だ。山岳部族の出身者、となりの州の他言語使用者もいる。彼女たちは等しく、異なる神に祈ることで生きようとしている。別の学生が、同じ体験をこう記している「信頼のそばには安心と責任がある。子どもたちは誰かに信頼され、信頼することによって、未来への希望を抱くことができるし、その夢をつかもうと努力することができる。」

私たちには、明日をまつために異なる神に祈る用意があるだろうか。

  
   Photo:廣石望
 

プロフィール

1961年、岡山県生まれ

広島大学文学部史学科東京大学大学院人文科学研究科
(西洋古典学専攻)
スイス・チューリヒ大学神学部を経て、
現在フェリス女学院大学国際交流学部教授・
宗教主任日本基督教団代々木上原教会副牧師専門分野は

新約聖書学

[著訳書]
(翻訳)W・ハルニッシュ
『イエスのたとえ物語ーー隠喩的たとえ解釈の試み』

(日本基督教団出版局、1993年)
「マルコによる福音書」
(大貫隆/山内眞・監修『新版・総説新約聖書』

日本キリスト教団出版局、(2003年に所収)
「イエスの譬えと言語行為」
(日本聖書学研究所・編『聖書学論集』第36号、

   2004年に所収)
「イエスにおける〈神の王国〉の倫理」
(光延一郎・編『自由は域を超えて--現代キリスト教と倫理』 

サンパウロ、2006年に所収)
「イエスと原始キリスト教における〈聖餐〉」
(山口雅弘・編『聖餐の豊かさを求めて』新教出版社、 

2008年に所収)その他

[関連サイト] 
●日本基督教団代々木上原教会

    http://www.yoyoue.jpn.org/index.htm

●日本聖書学研究所 http://ajbi.org/