星 の て が み

受けるよりも与える方が幸いである。

今井 誠二[いまい せいじ]
 

ドイツ留学中のことです。私は師走に学生寮に独り残り、一面の銀世界を眺めながら、初めての海外での年末年始をどう過ごそうかと思案していました。窓の外の温度計は氷点下20度を指していました。

ドイツの師走は、クリスマス一色でうきうきしていますが、外国人留学生にとっては、なんとか工夫して生き延びなければならない過酷な時期です。学生や職員たちが帰郷してしまうため、大学は食堂も閉まり、文字通り空っぽになってしまうからです。部屋の中が暖かいのがせめてもの救いでした。そんな時、指導教授の秘書が尋ねて来て、マルク紙幣を差し出して言いました。

「電車でハイデルベルクまで来るようにと教授が言っているので、すぐに準備をしてください」。それは教授からの突然の招待だったのです。電車を乗り継いで、ハイデルベルクに着いたのは、クリスマスイブの午後でした。教授の家族と一緒に買い物をし、知人のクリスマスパーティに出席させてもらい、リコーダーでクリスマスキャロルを一緒に演奏したり、楽しい一晩を過ごしました。初めて会った人たちばかりでしたが、まるで正月に気の置けない仲間が集まって旧交を温めるような雰囲気でした。

その後数年して帰国し仙台で仕事をすることになりましたが、帰国後3年が経とうとしていた正月に、教会の牧師夫婦と一緒に集会後の夜まわりを始めました。

その年の仙台は雪が多く、駅前のペデストリアン(空中回廊)で転んで怪我をする人も多かったのです。そんな中、仕事が無く、故郷を背にしながらも、クリスマスはおろか正月に帰ることもできず、軒下で夜を過ごしている人たちが沢山いるのを見て、見過ごしているわけにはいかなかったのです。

それ以来、ポットと味噌汁のパックや果物を持って、野宿生活者たちの安否を尋ねる夜まわりが続いています。この細々とした活動に、クチコミで学生たちや会社員、一般家庭の主婦、そして元当事者たちが次々に加わって協力してくれるようになりました。

ワールドカップの前には、理不尽な追い出しをする役所の窓口にみんなと一緒にどなりこんで行き、「生命と景観とどちらが大切なんだ」と迫ったこともありました。

とっさの思いつきの行動は、いつのまにか持続的な炊き出しや居宅支援活動、そして特定非営利活動法人設立へと展開していきました。また、教会と共催で始めた屋根のある市民と屋根のない市民が一緒になってお祝いする「市民クリスマス」も、昨年末で6回目を迎えることができました。

奇しくも、雪のドイツでクリスマスに居場所が無くて呆然としていた自分が、雪の東北でクリスマスに人を招く側に回っていたのです。この間、ホームレス問題は、個々人の自己責任の問題ではなく、社会的構造の歪みから生み出されたものであることが認知され始め、2002年夏にホームレス自立支援法が成立しました。

おかげで大都市だけではなく全国の地方自治体も等閑視できなくなり100万都市となったばかりの仙台で、官民・民民の協力の下、毎晩野宿して生き延びなければならない人たちを手助けする取り組みが、中都市としては比較的早い時期に始められることになったのです。

受けるよりも与える方が幸いである」という言葉が、新約聖書の使徒言行録/使徒行伝25章に、主(=イエス)の言葉として伝えられていますが、この言葉は、<何かを価無しに受けた者は、自分が受けたものをさらに他者へと自然に与え返していくことになる>という不思議な至福の連鎖の経験を言葉にしたものではないか、と最近思うようになりました。

  
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プロフィール

1960年東京生まれ 

1983年東京外国語大学ドイツ語科卒業 
1985年西南学院大学神学部卒業 
1991年東京大学大学院人文科学研究科

(西洋古典学専攻)修士課程修了 
1992~1997年ドイツ、アウグスターナ大学留学 
1997年東京大学大学院人文科学研究科

(西洋古典学専攻)博士課程中退 
1997年4月~尚絅女学院女子短期大学一般教育科教員 
2002年1月~特定非営利活動法人仙台夜まわりグループ理事長 
2002年8月~バプテスト仙台南キリスト教会協力牧師 
2007年4月~尚絅学院大学人間心理学科教員 

著書にD.ツェラー『Q資料注解』教文館2000年(翻訳)、 
『聖書学用語辞典』日本基督教団出版局2008年(共著)

などがある。 

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