星 の て が み

「ゆるされることの重み」

   荒井 英子[あらい えいこ]
 

聖書の中でも最も有名な言葉、「敵を愛しなさい」。この言葉は通常「被害者」の立場で読まれるのではないでしょうか。「そんなことを言ったって無理だ、こんな思いまでしたのに、なぜ敵をゆるさなければならないのか」と。  

しかし、昨秋私は「旧満州」の長城に近い村々を訪れ、旧日本軍によるホロコーストの生存者たちの証言を聴きながら、 この言葉を読む立ち位置を根底から変えられました。 
どの戦争被害者にも、歳月を経ても風化しない傷が心にも体にも深く刻まれていました。 
また、彼らは日本人への怒りだけではなく、愛する者を助けられなかったという自責の念、申し訳なさ悔い、無力感に苦しめられていました。時折、耐え難い記憶がフラッシュバックするのか、黙り込み、窓の外をぼんやり見たり、頭を抱え込んだりして、とても苦しそうな表情を見せました。一緒に行った精神科医の野田正彰先生と通訳だけを残して、他の私たちはその場を去ることもありました。しかし、老人たちはその被害経験を私たちに語るとき、「加害者」を糾弾する姿勢、「敵」だから「報復」して当然だという口調ではありませんでした。私たちの訪問に心乱されながらも、かつての「敵」の子どもたちを心からもてなし、苦しみの果ての寛容さで私たちを包み込むようでした。 

…「ゆるす」という振る舞いがそこに表れていました。 

同行した中国人研究者で通訳の労もとってくれた張宏波さんは、この村人たちの「語りの姿勢」を次のように解き明かしてくれました。「「加害者」を赦した「被害者」は、「被害者」であるというアイデンティティを放棄している。相手を「加害者」と見なすことをやめた元「被害者」は、元「加害者」とのあいだにおのずと新しい関係を見出していくほかない。・・・容易には埋めることのできない深い溝を前にして、憤怒や激情に震えながらも、そしてそれがゆえに、赦しが先立っているのだ。赦しを先立たせるという困難が、敵対関係を共生関係へと転換させるという困難を導く」と。 

中国の古老たちがあえて取り組んでいる「愛敵」の現実に直面し、日本人の私はゆるされることの重みを思わざるを得ませんでした。簡単に「ゆるし」などと語ってはいけないことを知りつつ、しかしゆるされた者は、あの困難を受け継ぐ者へと変えられる、そのことを確信したのでした。

  
 

プロフィール

1953年山口県生まれ。

青山学院大学文学部神学科卒、 
東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科修了。 
専攻は旧約聖書。 
ここ10年ほどは、ハンセン病とキリスト教との関わり、 
フェミニスト神学、キリスト教女性史を中心に
研究活動を行っている。  
恵泉女学園大学 人間社会学部 人間環境学科准教授。
(「キリスト教学入門」、「聖書学」、
「女性とキリスト教」、「キリスト教と人権」。
「キリスト教と人間形成」、「演習」などの科目を担当) 
日本基督教団牧師 
(かつて、日本基督教団信濃町教会で10年、  
多磨全生園・秋津教会で4年牧会)。

著書 
『ハンセン病とキリスト教』(岩波書店、1996年) 
『近代日本のキリスト教と女性たち』
(共著、新教出版社、1995年) 
『新共同訳旧約聖書略解』
(共著、日本基督教団出版局、2001年) 
『女性キリスト者と戦争』
(共著、行路社、2002年) 
『占領と性―政策・実態・表象』
(共著、インパクト出版会、2007年)など。